『人情が息づくまち佃島にある銭湯~日の出湯』
中央区環境衛生協会サイトスマイル東京ちゅうぉ~くの施設訪問6回目です。
日の出湯の女将大脇良子さん、御子息の大脇広仲さんに横山副会長がお話を伺いました。
私の父がこの地佃島で昭和9年に開業し、当初経営は別の方にお願いしていたようです。
開業当時は、木造の銭湯でした。
その後1回建て替えをして、今の銭湯が、昭和51年に建て替えた鉄筋の2代目です。

私は、平成元年から経営に携わりました。
ここ佃島1丁目は、江戸時代からの歴史がある、地縁、血縁の結びが強い土地柄なので、まず私が溶け込む努力をしました。
そして、ここは昔漁師町ということもあり、住んでいる人は気風も良く、元気なおとしよりが多く、皆さん総じて熱いお湯が好き。
湯船は、常に45℃を維持しています。
皆様が気持ちよくご利用戴くために、常に清潔、衛生面も注意しています。
湯船の残留塩素濃度は、0,7~0,8mg/Lを保ち 、浴剤も極力入れないのもそのためです。

お客様の男女比率は、6:4と男性客が多いですが、若い女性のお客様も増えています。
近くのタワーマンションにお住まいの方が、お勤め帰りにお寄りになったりします。
熱い湯船に入りたくて、バスに乗っていらっしゃるお客さまもいます。
そういう方の中におひとりで来るおとしよりもいますのでお声掛けをしています。

最後に3代目大脇広仲さんから力強い一言を戴きました。
ご利用戴く方がいる限り続いてきた銭湯文化を守り抜いて、土地に根付いた銭湯として頑張ってまいります。

大脇広仲氏(左)大脇良子氏(中央)横山副会長(右)
中央区環境衛生協会サイトスマイル東京ちゅうぉ~くの施設訪問6回目です。
日の出湯の女将大脇良子さん、御子息の大脇広仲さんに横山副会長がお話を伺いました。
私の父がこの地佃島で昭和9年に開業し、当初経営は別の方にお願いしていたようです。
開業当時は、木造の銭湯でした。
その後1回建て替えをして、今の銭湯が、昭和51年に建て替えた鉄筋の2代目です。

私は、平成元年から経営に携わりました。
ここ佃島1丁目は、江戸時代からの歴史がある、地縁、血縁の結びが強い土地柄なので、まず私が溶け込む努力をしました。
そして、ここは昔漁師町ということもあり、住んでいる人は気風も良く、元気なおとしよりが多く、皆さん総じて熱いお湯が好き。
湯船は、常に45℃を維持しています。
皆様が気持ちよくご利用戴くために、常に清潔、衛生面も注意しています。
湯船の残留塩素濃度は、0,7~0,8mg/Lを保ち 、浴剤も極力入れないのもそのためです。

お客様の男女比率は、6:4と男性客が多いですが、若い女性のお客様も増えています。
近くのタワーマンションにお住まいの方が、お勤め帰りにお寄りになったりします。
熱い湯船に入りたくて、バスに乗っていらっしゃるお客さまもいます。
そういう方の中におひとりで来るおとしよりもいますのでお声掛けをしています。

最後に3代目大脇広仲さんから力強い一言を戴きました。
ご利用戴く方がいる限り続いてきた銭湯文化を守り抜いて、土地に根付いた銭湯として頑張ってまいります。

大脇広仲氏(左)大脇良子氏(中央)横山副会長(右)
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『伝統の継承と新しきものの創造』
歌舞伎座 副支配人西山和宏氏に聞く
中央区環境衛生協会サイトのスマイル東京ちゅうぉ~くの施設訪問5回目です。
歌舞伎座 副支配人西山和宏氏に大野会長、横山副会長の両名が聞きました。
歌舞伎座の開場は、明治22年(1889年)です。
その後、震災や戦災に見舞われながらも4度の改築を経て現在が第5期となります。
開場から125年目の平成25年(2013年)に出来上がった第5期歌舞伎座は、第4期の建築を踏襲しつつも背後に高層タワーを有した伝統と現代の融合した建物で、新たなスペースも作りました。
衣装や小道具を展示する歌舞伎座ギャラリーが代表的なもので、屋上庭園も望むことが出来ます。是非、芝居とはまた違った空間を味わって戴ければと思います。

全面改装した第5期歌舞伎座はバリアフリー化しており、高齢者の方などがエレベーターやエスカレーターを利用する際に案内係を配置して道線の確保も心がけています。
救急対応に関しましても、定期的な救急救命講習やAEDの設置により緊急時にも迅速な対応ができるようにしております。またノロウイルスやインフルエンザ対策も専門の講師をお呼びし適切な対応ができますように準備しております。

芝居は観たいけど時間のない方のために、1808席ある指定席以外に一幕見席をご用意しています。全てが自由席となっており、通常公演では椅子席96名・立見60名の定員です。短い時間、安い料金で気軽に見て戴くことで歌舞伎に触れて戴きたいと思います。

インバウンドのお客様が増えている中で、従来の字幕ガイドサービスに昨年5月より英語チャンネルの提供も始めました。
そのようなインバウンドのお客様を意識した試みとして興行面では3部制を拡大して、平成28年(2016年)は、6月、8月、12月と3回実施しました。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前にして、訪日外国人のお客様も増えていく中で喜んで頂ける環境づくりをしてまいります。
これからも伝統を継承しつつ、新たな取り組みを行い歌舞伎の魅力を広げていき、皆様のご期待に応えていきたいと思います。
歌舞伎座 副支配人西山和宏氏に聞く
中央区環境衛生協会サイトのスマイル東京ちゅうぉ~くの施設訪問5回目です。
歌舞伎座 副支配人西山和宏氏に大野会長、横山副会長の両名が聞きました。
歌舞伎座の開場は、明治22年(1889年)です。
その後、震災や戦災に見舞われながらも4度の改築を経て現在が第5期となります。
開場から125年目の平成25年(2013年)に出来上がった第5期歌舞伎座は、第4期の建築を踏襲しつつも背後に高層タワーを有した伝統と現代の融合した建物で、新たなスペースも作りました。
衣装や小道具を展示する歌舞伎座ギャラリーが代表的なもので、屋上庭園も望むことが出来ます。是非、芝居とはまた違った空間を味わって戴ければと思います。

全面改装した第5期歌舞伎座はバリアフリー化しており、高齢者の方などがエレベーターやエスカレーターを利用する際に案内係を配置して道線の確保も心がけています。
救急対応に関しましても、定期的な救急救命講習やAEDの設置により緊急時にも迅速な対応ができるようにしております。またノロウイルスやインフルエンザ対策も専門の講師をお呼びし適切な対応ができますように準備しております。

芝居は観たいけど時間のない方のために、1808席ある指定席以外に一幕見席をご用意しています。全てが自由席となっており、通常公演では椅子席96名・立見60名の定員です。短い時間、安い料金で気軽に見て戴くことで歌舞伎に触れて戴きたいと思います。

インバウンドのお客様が増えている中で、従来の字幕ガイドサービスに昨年5月より英語チャンネルの提供も始めました。
そのようなインバウンドのお客様を意識した試みとして興行面では3部制を拡大して、平成28年(2016年)は、6月、8月、12月と3回実施しました。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前にして、訪日外国人のお客様も増えていく中で喜んで頂ける環境づくりをしてまいります。
これからも伝統を継承しつつ、新たな取り組みを行い歌舞伎の魅力を広げていき、皆様のご期待に応えていきたいと思います。

『旅館のようなおもてなしを心がけてまいります』
ビジネスホテルバン 代表取締役 潘 桂華氏
先代の父が、昭和22年(1947年)にこの地築地で旅館業を始めました。
開業時は、この築地界隈、銀座方面に高い建物があまりなく、有楽町のガード下から晴海方向に私どもの旅館が見えたという時代です。
戦後の築地は、漁船が多く入港していました。
その当時の主な宿泊客は、その船主さんや船員さんです。そして船員さんに会うため地方から来られる家族の方もお泊りになりました。
旅館は、一泊二食付でしたので食事の用意そして、シーツや枕カバーなどの洗濯など家族総出で手伝ったものです。

その後商社が、船ごとまるまる一船買いを行なう時代になり、冷凍技術も発達し魚が地方の港に水揚げされるようになると宿泊客も変わりました。
それ以降、ビジネスや観光目的のお客様が増えて来ました。
そのような時代の変化もあり、昭和51年(1976年)、現在のビジネスタイプのホテルに建て替えました。

平成23年(2011年)3月、東日本大震災が起こり、宿泊客のキャンセルが相次ぐ中、
東京都が福島県の被災者の方を都内のホテル、旅館に受け入れる施策を出し、当ホテルも延べ1,000人程の被災者を受け入れました。
ホテルは、インフラとしての宿泊施設であると改めて痛感しました。
当ホテルは、お客様のニーズに合せるため、ホテル内部の改装とともに客室の全室バリアフリー化やペットと一緒に宿泊できる客室を設けるなど、客室のヴァリエーションを施してきました。
築地という土地柄、希望するお客様に提携する飲食店の朝食用マグロ丼などの割引券もお出ししています。

当ホテルは、今秋の築地場内の豊洲移転で、築地が変わっていこうとも創業以来の旅館のおもてなしを守りつつ、お客様に対しキメ細かいサービスを提供してまいりたいと思います。

左・・ビジネスホテルバン 代表取締役 潘 桂華氏
中央・・中央区環境衛生協会会長 大野 悦司氏
右・・同副会長 横山 正敏氏
ビジネスホテルバン 代表取締役 潘 桂華氏
先代の父が、昭和22年(1947年)にこの地築地で旅館業を始めました。
開業時は、この築地界隈、銀座方面に高い建物があまりなく、有楽町のガード下から晴海方向に私どもの旅館が見えたという時代です。
戦後の築地は、漁船が多く入港していました。
その当時の主な宿泊客は、その船主さんや船員さんです。そして船員さんに会うため地方から来られる家族の方もお泊りになりました。
旅館は、一泊二食付でしたので食事の用意そして、シーツや枕カバーなどの洗濯など家族総出で手伝ったものです。

その後商社が、船ごとまるまる一船買いを行なう時代になり、冷凍技術も発達し魚が地方の港に水揚げされるようになると宿泊客も変わりました。
それ以降、ビジネスや観光目的のお客様が増えて来ました。
そのような時代の変化もあり、昭和51年(1976年)、現在のビジネスタイプのホテルに建て替えました。

平成23年(2011年)3月、東日本大震災が起こり、宿泊客のキャンセルが相次ぐ中、
東京都が福島県の被災者の方を都内のホテル、旅館に受け入れる施策を出し、当ホテルも延べ1,000人程の被災者を受け入れました。
ホテルは、インフラとしての宿泊施設であると改めて痛感しました。
当ホテルは、お客様のニーズに合せるため、ホテル内部の改装とともに客室の全室バリアフリー化やペットと一緒に宿泊できる客室を設けるなど、客室のヴァリエーションを施してきました。
築地という土地柄、希望するお客様に提携する飲食店の朝食用マグロ丼などの割引券もお出ししています。

当ホテルは、今秋の築地場内の豊洲移転で、築地が変わっていこうとも創業以来の旅館のおもてなしを守りつつ、お客様に対しキメ細かいサービスを提供してまいりたいと思います。

左・・ビジネスホテルバン 代表取締役 潘 桂華氏
中央・・中央区環境衛生協会会長 大野 悦司氏
右・・同副会長 横山 正敏氏
『山野愛子が提唱した美道 髪・顔・装い・精神美・健康美を基本理念に
本当の美しさと本物のサービスを届けたい』
(株)ビューティトップヤマノ 代表取締役社長 山野純治氏

美容師・理容師がまだ髪結といわれていた時代、祖母の山野愛子が美容室を初めたのが大正14年(1925年)、その後昭和13年(1938年)銀座に美容室をオープンしました。こうした経緯が、山野愛子美容室のはじまりです。

サロン・学校・化粧品製造等、山野グループとして事業展開していく中、昭和58年(1983年)父の山野博敏が社長として美容サロンを継承し、㈱ビューティトップヤマノを設立。
山野愛子が提唱した「美道の五大原則」髪・顔・装い・精神美・健康美を基本理念とし、ビューティウェルネスというコンセプトを確立。
本当の美しさとは、外見だけでなく心身の健康がなくては成立しないという教えです。
これをもとにトータルで美と健康をサポートする事業として、 ヘア、ボディケア、メイクアップ、ネイル、ダイエットケア、着付けに関する複合サロンおよび単独サロンの経営他、全国100店舗展開しております。
画一的なアプローチで良かった時代から個の時代、そしてモノの提供からコトの提供になってきた現代、一人ひとりのお客様に合った美容サービスを行なうのも当然ながら、御来店される方に特別な価値を買っていただけるようなサロンづくりを心がけております。


医学的な研究結果とアプローチに基づいた美容アドバイスも現在取り組んでいる事業の一つです。
その一環として、当社は、自然派ヘアスキャルプケアとして世界で評価を得ているパリのブランド「PHYTO」(フィト)を導入し、日本では唯一の代理店として取り扱っております。
植物の恵みを注ぎ込むことでストレスや科学物質によるダメージを受けた髪を修復し、ふたたび美しい輝きを取り戻すことが、medi beauty salon を掲げた所以です。

この2月、インターコワフュールジャパンの会長を拝命しました。
インターコワフュールジャパンとは、チューリッヒで設立された世界の理美容業界で権威を持つインターコワフュール(以下IDC)の日本支部です。
IDCは、4年に1度、IDCワールドコングレスが、世界各国持ち廻りで美容イベントを開催します。
そのような場に日本の優秀な美容家を送り出すことで、日本の繊細な美容の技術を広めていきたいと思っています。

左・・(株)ビューティトップヤマノ代表取締役社長 山野純治氏
右・・中央区環境衛生協会会長 大野悦司氏
本当の美しさと本物のサービスを届けたい』
(株)ビューティトップヤマノ 代表取締役社長 山野純治氏

美容師・理容師がまだ髪結といわれていた時代、祖母の山野愛子が美容室を初めたのが大正14年(1925年)、その後昭和13年(1938年)銀座に美容室をオープンしました。こうした経緯が、山野愛子美容室のはじまりです。

サロン・学校・化粧品製造等、山野グループとして事業展開していく中、昭和58年(1983年)父の山野博敏が社長として美容サロンを継承し、㈱ビューティトップヤマノを設立。
山野愛子が提唱した「美道の五大原則」髪・顔・装い・精神美・健康美を基本理念とし、ビューティウェルネスというコンセプトを確立。
本当の美しさとは、外見だけでなく心身の健康がなくては成立しないという教えです。
これをもとにトータルで美と健康をサポートする事業として、 ヘア、ボディケア、メイクアップ、ネイル、ダイエットケア、着付けに関する複合サロンおよび単独サロンの経営他、全国100店舗展開しております。
画一的なアプローチで良かった時代から個の時代、そしてモノの提供からコトの提供になってきた現代、一人ひとりのお客様に合った美容サービスを行なうのも当然ながら、御来店される方に特別な価値を買っていただけるようなサロンづくりを心がけております。


医学的な研究結果とアプローチに基づいた美容アドバイスも現在取り組んでいる事業の一つです。
その一環として、当社は、自然派ヘアスキャルプケアとして世界で評価を得ているパリのブランド「PHYTO」(フィト)を導入し、日本では唯一の代理店として取り扱っております。
植物の恵みを注ぎ込むことでストレスや科学物質によるダメージを受けた髪を修復し、ふたたび美しい輝きを取り戻すことが、medi beauty salon を掲げた所以です。

この2月、インターコワフュールジャパンの会長を拝命しました。
インターコワフュールジャパンとは、チューリッヒで設立された世界の理美容業界で権威を持つインターコワフュール(以下IDC)の日本支部です。
IDCは、4年に1度、IDCワールドコングレスが、世界各国持ち廻りで美容イベントを開催します。
そのような場に日本の優秀な美容家を送り出すことで、日本の繊細な美容の技術を広めていきたいと思っています。

左・・(株)ビューティトップヤマノ代表取締役社長 山野純治氏
右・・中央区環境衛生協会会長 大野悦司氏
『技術の心・心の技術を大切に』
ヘアサロン大野グループ 代表 大野悦司氏
日本橋生まれの私の父大野孝次郎が、近代理髪を全国に伝えたと言われる師匠の篠原定吉氏から独立し、昭和9年に大田区馬込で創業。戦後昭和23年に日本橋本町に移転出店しました。

現在、日本橋中央大通りに面している艶出専科とikiの2店を合わせて大野グループの本店となります。

両者に共通する個室スタイルは、お客様に心の底からリラックス頂ける空間づくりを心がけているからです。いつでもご利用いただける年中無休予約優先制で営業をしております。

艶出専科のお客様は、平日は日本橋にお勤めのサラリーマンが中心ですが、
日曜・祝日は、ウォーターフロントからのお客様も多くなりました。

ヘアスタイリングやSPA、ネイルなどを終えてから、ご一緒に日本橋でお食事を楽しまれるご夫婦もいらっしゃいます。
ikiは、時間に忙しい若いサラリーマンの方が多く、限りある時間の中で効率的にカットやフェイスエステ、ヘッドスパ、育毛マッサージなどをされています。

8月に12店舗目をハノイに出店する予定で、現在、ベトナムから二人が東京各店で研修中です。ハノイ在中の日本の方々に一日でも早く日本式理容店のサービスを提供させていただこうとスタッフは張り切っております。
お客様に接するのは、おしゃれを提供する目的だけでなく、専門知識もさることながら、お客様の心を慮る気持ちを持つこと、自分ができる最高の内容で応えることがプロとして重要だと常日頃、スタッフたちに伝えています。
この理念を大切にして、ベトナムにおいても理容業界の指導者を育て上げ、環境衛生の向上にも貢献できればと考えております。
微力ながら理容業を通じて、日本とベトナムの心の架け橋になれればと願っております。

ヘアサロン大野グループ 代表 大野悦司氏
日本橋生まれの私の父大野孝次郎が、近代理髪を全国に伝えたと言われる師匠の篠原定吉氏から独立し、昭和9年に大田区馬込で創業。戦後昭和23年に日本橋本町に移転出店しました。

現在、日本橋中央大通りに面している艶出専科とikiの2店を合わせて大野グループの本店となります。

両者に共通する個室スタイルは、お客様に心の底からリラックス頂ける空間づくりを心がけているからです。いつでもご利用いただける年中無休予約優先制で営業をしております。

艶出専科のお客様は、平日は日本橋にお勤めのサラリーマンが中心ですが、
日曜・祝日は、ウォーターフロントからのお客様も多くなりました。

ヘアスタイリングやSPA、ネイルなどを終えてから、ご一緒に日本橋でお食事を楽しまれるご夫婦もいらっしゃいます。
ikiは、時間に忙しい若いサラリーマンの方が多く、限りある時間の中で効率的にカットやフェイスエステ、ヘッドスパ、育毛マッサージなどをされています。

8月に12店舗目をハノイに出店する予定で、現在、ベトナムから二人が東京各店で研修中です。ハノイ在中の日本の方々に一日でも早く日本式理容店のサービスを提供させていただこうとスタッフは張り切っております。
お客様に接するのは、おしゃれを提供する目的だけでなく、専門知識もさることながら、お客様の心を慮る気持ちを持つこと、自分ができる最高の内容で応えることがプロとして重要だと常日頃、スタッフたちに伝えています。
この理念を大切にして、ベトナムにおいても理容業界の指導者を育て上げ、環境衛生の向上にも貢献できればと考えております。
微力ながら理容業を通じて、日本とベトナムの心の架け橋になれればと願っております。
